昔の沖縄には、戸籍上の本名とは別に「童名(わらびなー)」という名前がありました。これは、大人になってからも親族や周囲の人々が親しみを込めて呼ぶ、いわば愛称のようなものです。
今回は、この興味深い沖縄の文化について、私自身の個人的な体験も交えながらお話しします。特に大きなオチがあるわけではありませんが、このユニークな風習について、少しでも知っていただければ幸いです。
- 沖縄の童名(わらびなー)とは何か
- わらびなーを持っていた沖縄のおじぃについて

この記事は単身沖縄移住し、沖縄生活13年間のももとが書いています。
目次
沖縄の童名(わらびなー)とは?
昔の沖縄には、戸籍上の本名とは別に童名(わらびなー)をつける風習がありました。これは、先祖が使っていた名前を受け継ぐもので、たとえば長男には祖父の童名をつけるといった、一定のルールがあったとされています。
日本本土でも、伊達政宗が「梵天丸(ぼんてんまる)」と呼ばれたように、幼名を名乗る習慣は古くから見られます。
この童名の風習は、沖縄では昭和初期頃まで残っていましたが、現在はほとんど見られなくなりました。しかし、沖縄に近接する与論島では、現在でもこの風習が続いているそうです。
童名を持っているおじぃの話

おじぃの童名(わらびなー)
沖縄にいた頃、私の知り合いに童名(わらびなー)を持つおじぃがいました。おじぃ本人の前では本名で呼んでいましたが、仲間内では親しみを込めてこっそり「かまる~」と呼んでいました。
この「かまる~」は、おじぃが子どもの頃に使われていた童名だそうです。実際に周囲からその名で呼ばれていたと言います。
かまる~おじぃは宮古島出身で、私の親と同じくらいの年代であることから、戦後直後くらいの生まれだと思います。この話を聞いて、宮古島ではその頃まで童名の風習が残っていたのだと知りました。
かまる~おじぃとの出会い
かまる~おじぃとの出会いは職場になります。私が単身沖縄移住した時に勤めていた会社で知り合いました。
私が入社した時、かまる~おじぃはちょうど60歳で定年となり、嘱託扱いで再雇用されたばかりでした。
かまる~おじぃは、新しく来た内地の人に沖縄のことを教えるのが大好きです。
私がいた会社は全国転勤のある企業で、異動の時期になると転勤で内地から沖縄にやってくる人が毎回何人かいます。かまる~おじぃは、そんな人たちをいつもつかまえては、沖縄のことを教えまくるのです。
なので、当時の私も完全にかまる~おじぃにロックオン!
しかも転勤で来る人たちは皆男性ばかりですが、私は転勤でなく自ら沖縄移住したので、内地の女性が来るのは特に珍しかったのです。完全につかまりました。

超積極的なかまる~おじぃ
沖縄の男性ってシャイな人が多いと言われたりもしますが、沖縄のおじぃに関しては積極的な人が多いですよね。
超肉食系??
以前、ゆいレールの中で観光客の若い女性たちにやたら話しかけているおじぃ(かまる~ではない)を見たことがあります。
かまる~おじぃも例外なく超積極的です。
職場でも、しょっちゅう私の席に来ては、

今度こんなイベントあるけど行く?

その日は予定あるので無理です!(即答)
と、お祭りやイベントがある度に私を誘ってきます。
優しくすると調子に乗るので、10回のうち9回は断ってました。
以前、10回中1回の誘いに乗って失敗(?)したことがありました。
失敗した話はこちらです↓

そして、仕事中でもお構いなしに延々と話しかけてくるので周りの人に気の毒がられ、

今度かまる~が話しかけてきたら、ももとさんの内線鳴らしてあげるよ
と、向かいの席の先輩に言われました。笑
かまる~おじぃの誘いで三線(さんしん)を始める

そんな超積極的なかまる~おじぃに、長らく「三線をやろう」と誘われ続けていました。三線とは沖縄の三味線ですね。
何年間も断り続けてたのですが、転勤で沖縄に来ていた内地の男性が三線をやってみたいと言い出したので、結局私も一緒にやることになりました。
私が一緒に三線をやると言うと、かまる~おじぃは「家にふたつあるから」と言って、かまる~おじぃのお父さんが使っていたと言う三線を私にくれました !

この三線あげるよ

Σ(゚Д゚)それって形見の三線なのでは?
そして、毎朝の散歩中に知り合ったという、三線を教える先生まで探してきたのです。
ちなみに、一緒に三線を始めた男性には、自分で三線を買わせていました。
沖縄の童名(わらびなー)まとめ
今回は、戸籍上の本名とは別に親しまれてきた沖縄の童名(わらびなー)について、私の個人的なエピソードを交えながらご紹介しました。
童名が持つ、家族や地域との深い絆を示す文化が失われつつあるのは少し寂しい気もします。しかし、昔の沖縄の温かい風習に少しでも触れていただけたなら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。