こんにちは〜、ももとです。
昔の沖縄では、本名の他に子どもの頃に呼ばれる別の名前があったのを知っていますか?
これは童名(わらびなー)と言うのですが、今回はこの童名にまつわる私の個人的なお話を紹介します。
突然ですが、私には沖縄に仲良しのおじぃがいます。
私の沖縄生活を語る上で欠かせない人のひとりなので、今回はそのおじぃを紹介したいと思います。
オチも何もない内容ですが、お付き合いいただければ嬉しいです(^^♪
沖縄の童名(わらびなー)とは?
昔の沖縄では、子どもが生まれると本名とは別に童名(わらびなー)を付ける習慣がありました。
この童名は適当につけるものではなく、先祖が使っていた童名をつけるそうです。
詳しくは分かりませんが、長男だったら祖父の童名をつけるみたいなルールがあります。
日本でも昔はありましたよね。
伊達政宗も子どもの頃は「梵天丸(ぼんてんまる)」と呼ばれていましたね。
沖縄では、この童名の習慣が、昭和初期頃までありました。
今は廃れてしまったようですが、与論島では今でも童名の風習が残っているそうですよ。
かまる~おじぃの名前
さて、ここでちょっとおじぃの名前について説明します。
おじぃ本人の前では本名で呼んでいましたが、他の仲間うちでは「かまる~」と呼んでいました。
かまる~とは、以前おじぃ本人から聞いたのですが、かまる~おじぃが子どもの頃の童名(わらびなー)だそうです。
おじぃも、実際にこの童名で呼ばれていたそうです。
かまる~おじぃは、宮古島出身で、私の親と同年代なので、戦前か戦後直後くらいの生まれです。
宮古では、その頃まで童名の習慣があったのですね。
かまる~おじぃとの出会い

かまる~おじぃとの出会いは職場になります。
私が単身沖縄移住した時に勤めていた会社で知り合いました。
ご参考までに私の職歴はこちらに書いてあります。

私が入社した時、かまる~おじぃは、ちょうど60歳で定年となり、嘱託扱いで再雇用されたばかりでした。
かまる~おじぃは、新しく来た内地の人に、沖縄のことを教えるのが大好きです。
私がいた会社は、異動の時期になると転勤で内地から沖縄にやってくる人が毎回います。
かまる~おじぃは、そんな人たちをいつもつかまえては、沖縄のことを教えまくるのです。
なので、当時の私も完全に、かまる~おじぃにロックオン!
しかも転勤で来る人たちは皆男性ばかりですが、私は珍しい内地の女性。
完全につかまりました(+_+)
超積極的なかまる~おじぃ
沖縄の男性ってシャイな人が多いと言われたりもしますが、沖縄のおじぃに関しては積極的ですよね。
超肉食系??
以前、ゆいレールの中で観光客の若い女性たちにやたら話しかけているおじぃ(かまる~ではない)を見たことがあります。
かまる~おじぃも例外なく超積極的です。
職場でも、しょっちゅう私の席に来ては、

今度こんなイベントあるけど行く?
と、お祭りやイベントがある度に、私を誘ってきます(^^;
優しくすると調子に乗るので、10回のうち9回は断ってました(^^;

その日は予定あるので無理です!(即答)
以前、10回中1回、誘いに乗って失敗(?)したことはありました、、、
失敗した話↓

そして、仕事中でもお構いなしに、延々と話しかけてくるので、周りの人に気の毒がられ、

今度かまる~が話しかけてきたら、ももとさんの内線鳴らしてあげるよ
と、向かいの席の先輩に言われました(^^;
かまる~おじぃの誘いで三線(さんしん)を始める

そんな超積極的なかまる~おじぃに、長らく「三線をやろう」と誘われ続けていました。
三線とは沖縄の三味線ですね。
何年間も、断り続けてたのですが、転勤で沖縄に来ていた内地の男性が、三線をやってみたいと言い出したので、結局私も一緒にやることになりました。
私が一緒に三線をやると言うと、かまる~おじぃは「家にふたつあるから」と言って、かまる~おじぃのお父さんが使っていたと言う三線を私にくれました Σ(゚Д゚)

この三線あげるよ

Σ(゚Д゚)それって形見の三線なのでは?(^^;
そして、毎朝の散歩中に知り合ったという、三線を教える先生まで探してきたのです。
ちなみに、一緒に三線を始めた男性には、自分で三線を買わせていました(^^;
まとめ
かなりお節介で、すぐに調子に乗るかまる~おじぃですが、かまる~おじぃのおかげで、より沖縄生活が楽しくなったのも事実です。
三線も今は全然触らなくなってしまいましたが、やっておいて良かったなと思います。
本当に人との出会いって大事ですよね。人生変わったりもしちゃいますから。
今回は沖縄で出会ったかまる~おじぃの紹介でした。
かまる~おじぃが元気なうちに、また会いに行きたいと思います(*´ω`*)
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